3月11日 法侖さんが感慨深い投稿をしてましたのでシェアさせて頂きます。  今日の月例坐禅会は、東日本大震災十三回忌の追悼坐禅を皆さんと修行させて頂きました。通常は1時半から坐禅一炷(45分間の坐禅)をして勉強会をしていますが、今日は坐禅二炷、2時46分黙祷、修証義読経してご供養の真をお上げさせて頂きました。終了後の茶話会で、青山俊董老師のご著書『道はるかなりとも』を皆さんに差し上げました。『道はるかなりとも』は青山老師が五十代・六十代のときに、ご自分のご生涯をまとめられた自伝です。この度、加筆修正されて新装改訂版が出版されました。九十歳を前にして尚、「道はるかなりとも」と仏法の大道を仰ぎ見て進まれるお姿、心から感服いたします。今回、布教に使ってくださいと、青山老師より古い方の御本五十冊をご寄贈頂きました。参禅者の皆さんに順番に音読して頂き、冒頭を一緒に読みました。青山老師のお母様が大変なご苦労されたお話では感極まり涙を流すメンバーも、、。大変な時代を仏道一筋に歩まれた軌跡は私達の今を明るく照らしてくださいます。

三月十一日 

法侖さんが感慨深い投稿をしてましたのでシェアさせて頂きます。
 
今日の月例坐禅会は、東日本大震災十三回忌の追悼坐禅を皆さんと修行させて頂きました。
通常は1時半から坐禅一炷(45分間の坐禅)をして勉強会をしていますが、今日は坐禅二炷、2時46分黙祷、修証義読経してご供養の真をお上げさせて頂きました。
終了後の茶話会で、青山俊董老師のご著書『道はるかなりとも』を皆さんに差し上げました。
『道はるかなりとも』は青山老師が五十代・六十代のときに、ご自分のご生涯をまとめられた自伝です。
この度、加筆修正されて新装改訂版が出版されました。九十歳を前にして尚、「道はるかなりとも」と仏法の大道を仰ぎ見て進まれるお姿、心から感服いたします。
今回、布教に使ってくださいと、青山老師より古い方の御本五十冊をご寄贈頂きました。
参禅者の皆さんに順番に音読して頂き、冒頭を一緒に読みました。青山老師のお母様が大変なご苦労されたお話では感極まり涙を流すメンバーも、、。
大変な時代を仏道一筋に歩まれた軌跡は私達の今を明るく照らしてくださいます。

三月十一日 

法侖さんが感慨深い投稿をしてましたのでシェアさせて頂きます。
 
今日の月例坐禅会は、東日本大震災十三回忌の追悼坐禅を皆さんと修行させて頂きました。
通常は1時半から坐禅一炷(45分間の坐禅)をして勉強会をしていますが、今日は坐禅二炷、2時46分黙祷、修証義読経してご供養の真をお上げさせて頂きました。
終了後の茶話会で、青山俊董老師のご著書『道はるかなりとも』を皆さんに差し上げました。
『道はるかなりとも』は青山老師が五十代・六十代のときに、ご自分のご生涯をまとめられた自伝です。
この度、加筆修正されて新装改訂版が出版されました。九十歳を前にして尚、「道はるかなりとも」と仏法の大道を仰ぎ見て進まれるお姿、心から感服いたします。
今回、布教に使ってくださいと、青山老師より古い方の御本五十冊をご寄贈頂きました。
参禅者の皆さんに順番に音読して頂き、冒頭を一緒に読みました。青山老師のお母様が大変なご苦労されたお話では感極まり涙を流すメンバーも、、。
大変な時代を仏道一筋に歩まれた軌跡は私達の今を明るく照らしてくださいます。

三月十一日 

法侖さんが感慨深い投稿をしてましたのでシェアさせて頂きます。
 
今日の月例坐禅会は、東日本大震災十三回忌の追悼坐禅を皆さんと修行させて頂きました。
通常は1時半から坐禅一炷(45分間の坐禅)をして勉強会をしていますが、今日は坐禅二炷、2時46分黙祷、修証義読経してご供養の真をお上げさせて頂きました。
終了後の茶話会で、青山俊董老師のご著書『道はるかなりとも』を皆さんに差し上げました。
『道はるかなりとも』は青山老師が五十代・六十代のときに、ご自分のご生涯をまとめられた自伝です。
この度、加筆修正されて新装改訂版が出版されました。九十歳を前にして尚、「道はるかなりとも」と仏法の大道を仰ぎ見て進まれるお姿、心から感服いたします。
今回、布教に使ってくださいと、青山老師より古い方の御本五十冊をご寄贈頂きました。
参禅者の皆さんに順番に音読して頂き、冒頭を一緒に読みました。青山老師のお母様が大変なご苦労されたお話では感極まり涙を流すメンバーも、、。
大変な時代を仏道一筋に歩まれた軌跡は私達の今を明るく照らしてくださいます。

3月7日 法侖さんが先週 今週と宮城に行くとは聞いていました。先輩の尼僧さんのお寺での様子をアップしておりますのでシェアいたします。 今年は東日本大震災の十三回忌を迎えます。 2月、3月と石巻市にある先輩のお寺さんへお手伝いに行かせて頂きました。 先輩のお寺は、津波により74名の児童と10名の教職員が亡くなられた大川小学校のすぐ近くにあります。 お寺では2月からずっと週末は十三回忌の合同供養法要が続いています。 12年前のあの日、私も先輩もまだ愛知専門尼僧堂に安居中でした。その日は3時から授業があった為、2時半から早めの行茶(みんなで3時のお茶を頂く)で全員が同じ部屋にいました。名古屋でもかなりの揺れに一同騒然。 自分たちの部屋に戻ると、宮城県出身の後輩がボイスレコーダーのラジオを付けて耳に当てました。「宮城だ!」とその子が言って、ラジオから「あと○分後(3時くらい)に6メートルの津波が到達します」と聞こえてきました。 6メートルの津波も想像が出来ないし、津波の怖さも分からなかったが、とんでもないことが起きていることをおぼろげながら理解しました。実際は6メートルどころではなく、被害は甚大でした。 当時、尼僧堂では宮城県や東北出身の修行僧が多く、テレビも携帯もない僧堂で皆じっと身内の安否を心配していました。 あの重苦しい雰囲気、得体の知れない恐怖感は忘れられません。 先輩は、出身は他県であり、お師匠様のお寺が宮城にありました。しかし、その年に送行(僧堂を卒業すること)が決まっていた先輩はそのまま宮城のお寺に入ることとなり、右も左もわからない土地で、壮絶な混乱と悲しみの只中に身を投じていかれました。 今回の十三回忌合同供養法要で、先輩が遺族の皆さんに話された言葉はどれも印象的でした。その人が本当に言ってほしい言葉を掛けられるのは、同じようにこの地で皆さんに寄り添い向き合ってきたからこそなんだと思います。 「一歩でも半歩でも、ときに後退しながら、ときに全く立ち上がれずにうずくまる日もありながらの、今日この日です。」 悲しみも苦しみもたしかに過ごして来た日々があっての今。 心の優しい先輩は、今ある命に感謝しよう、などとは言いません。十二年間よくがんばってきたと、どうか自分を褒めてあげてください、と。 悔しさ、悲しさ、やりきれなさを抱えて、必死の思いで一日一日を積み重ね、今日まで生きてきた、そのことがどんなに大変なことなのか、どんなに凄いことなのか、言葉で言い表せるはずもなく、お互いにただそれだけで通じるのです。

三月七日 

法侖さんが先週 今週と宮城に行くとは聞いていました。
先輩の尼僧さんのお寺での様子をアップしておりますのでシェアいたします。
 
 
今年は東日本大震災の十三回忌を迎えます。
2月、3月と石巻市にある先輩のお寺さんへお手伝いに行かせて頂きました。
先輩のお寺は、津波により74名の児童と10名の教職員が亡くなられた大川小学校のすぐ近くにあります。
お寺では2月からずっと週末は十三回忌の合同供養法要が続いています。
12年前のあの日、私も先輩もまだ愛知専門尼僧堂に安居中でした。その日は3時から授業があった為、2時半から早めの行茶(みんなで3時のお茶を頂く)で全員が同じ部屋にいました。名古屋でもかなりの揺れに一同騒然。
自分たちの部屋に戻ると、宮城県出身の後輩がボイスレコーダーのラジオを付けて耳に当てました。「宮城だ!」とその子が言って、ラジオから「あと○分後(3時くらい)に6メートルの津波が到達します」と聞こえてきました。
6メートルの津波も想像が出来ないし、津波の怖さも分からなかったが、とんでもないことが起きていることをおぼろげながら理解しました。実際は6メートルどころではなく、被害は甚大でした。
当時、尼僧堂では宮城県や東北出身の修行僧が多く、テレビも携帯もない僧堂で皆じっと身内の安否を心配していました。
あの重苦しい雰囲気、得体の知れない恐怖感は忘れられません。
先輩は、出身は他県であり、お師匠様のお寺が宮城にありました。しかし、その年に送行(僧堂を卒業すること)が決まっていた先輩はそのまま宮城のお寺に入ることとなり、右も左もわからない土地で、壮絶な混乱と悲しみの只中に身を投じていかれました。
今回の十三回忌合同供養法要で、先輩が遺族の皆さんに話された言葉はどれも印象的でした。その人が本当に言ってほしい言葉を掛けられるのは、同じようにこの地で皆さんに寄り添い向き合ってきたからこそなんだと思います。
「一歩でも半歩でも、ときに後退しながら、ときに全く立ち上がれずにうずくまる日もありながらの、今日この日です。」
悲しみも苦しみもたしかに過ごして来た日々があっての今。
心の優しい先輩は、今ある命に感謝しよう、などとは言いません。十二年間よくがんばってきたと、どうか自分を褒めてあげてください、と。
悔しさ、悲しさ、やりきれなさを抱えて、必死の思いで一日一日を積み重ね、今日まで生きてきた、そのことがどんなに大変なことなのか、どんなに凄いことなのか、言葉で言い表せるはずもなく、お互いにただそれだけで通じるのです。

三月七日 

法侖さんが先週 今週と宮城に行くとは聞いていました。
先輩の尼僧さんのお寺での様子をアップしておりますのでシェアいたします。
 
今年は東日本大震災の十三回忌を迎えます。
2月、3月と石巻市にある先輩のお寺さんへお手伝いに行かせて頂きました。
先輩のお寺は、津波により74名の児童と10名の教職員が亡くなられた大川小学校のすぐ近くにあります。
お寺では2月からずっと週末は十三回忌の合同供養法要が続いています。
12年前のあの日、私も先輩もまだ愛知専門尼僧堂に安居中でした。その日は3時から授業があった為、2時半から早めの行茶(みんなで3時のお茶を頂く)で全員が同じ部屋にいました。名古屋でもかなりの揺れに一同騒然。
自分たちの部屋に戻ると、宮城県出身の後輩がボイスレコーダーのラジオを付けて耳に当てました。「宮城だ!」とその子が言って、ラジオから「あと○分後(3時くらい)に6メートルの津波が到達します」と聞こえてきました。
6メートルの津波も想像が出来ないし、津波の怖さも分からなかったが、とんでもないことが起きていることをおぼろげながら理解しました。実際は6メートルどころではなく、被害は甚大でした。
当時、尼僧堂では宮城県や東北出身の修行僧が多く、テレビも携帯もない僧堂で皆じっと身内の安否を心配していました。
あの重苦しい雰囲気、得体の知れない恐怖感は忘れられません。
先輩は、出身は他県であり、お師匠様のお寺が宮城にありました。しかし、その年に送行(僧堂を卒業すること)が決まっていた先輩はそのまま宮城のお寺に入ることとなり、右も左もわからない土地で、壮絶な混乱と悲しみの只中に身を投じていかれました。
今回の十三回忌合同供養法要で、先輩が遺族の皆さんに話された言葉はどれも印象的でした。その人が本当に言ってほしい言葉を掛けられるのは、同じようにこの地で皆さんに寄り添い向き合ってきたからこそなんだと思います。
「一歩でも半歩でも、ときに後退しながら、ときに全く立ち上がれずにうずくまる日もありながらの、今日この日です。」
悲しみも苦しみもたしかに過ごして来た日々があっての今。
心の優しい先輩は、今ある命に感謝しよう、などとは言いません。十二年間よくがんばってきたと、どうか自分を褒めてあげてください、と。
悔しさ、悲しさ、やりきれなさを抱えて、必死の思いで一日一日を積み重ね、今日まで生きてきた、そのことがどんなに大変なことなのか、どんなに凄いことなのか、言葉で言い表せるはずもなく、お互いにただそれだけで通じるのです。

三月七日 

法侖さんが先週 今週と宮城に行くとは聞いていました。
先輩の尼僧さんのお寺での様子をアップしておりますのでシェアいたします。
 
 
今年は東日本大震災の十三回忌を迎えます。
2月、3月と石巻市にある先輩のお寺さんへお手伝いに行かせて頂きました。
先輩のお寺は、津波により74名の児童と10名の教職員が亡くなられた大川小学校のすぐ近くにあります。
お寺では2月からずっと週末は十三回忌の合同供養法要が続いています。
12年前のあの日、私も先輩もまだ愛知専門尼僧堂に安居中でした。その日は3時から授業があった為、2時半から早めの行茶(みんなで3時のお茶を頂く)で全員が同じ部屋にいました。名古屋でもかなりの揺れに一同騒然。
自分たちの部屋に戻ると、宮城県出身の後輩がボイスレコーダーのラジオを付けて耳に当てました。「宮城だ!」とその子が言って、ラジオから「あと○分後(3時くらい)に6メートルの津波が到達します」と聞こえてきました。
6メートルの津波も想像が出来ないし、津波の怖さも分からなかったが、とんでもないことが起きていることをおぼろげながら理解しました。実際は6メートルどころではなく、被害は甚大でした。
当時、尼僧堂では宮城県や東北出身の修行僧が多く、テレビも携帯もない僧堂で皆じっと身内の安否を心配していました。
あの重苦しい雰囲気、得体の知れない恐怖感は忘れられません。
先輩は、出身は他県であり、お師匠様のお寺が宮城にありました。しかし、その年に送行(僧堂を卒業すること)が決まっていた先輩はそのまま宮城のお寺に入ることとなり、右も左もわからない土地で、壮絶な混乱と悲しみの只中に身を投じていかれました。
今回の十三回忌合同供養法要で、先輩が遺族の皆さんに話された言葉はどれも印象的でした。その人が本当に言ってほしい言葉を掛けられるのは、同じようにこの地で皆さんに寄り添い向き合ってきたからこそなんだと思います。
「一歩でも半歩でも、ときに後退しながら、ときに全く立ち上がれずにうずくまる日もありながらの、今日この日です。」
悲しみも苦しみもたしかに過ごして来た日々があっての今。
心の優しい先輩は、今ある命に感謝しよう、などとは言いません。十二年間よくがんばってきたと、どうか自分を褒めてあげてください、と。
悔しさ、悲しさ、やりきれなさを抱えて、必死の思いで一日一日を積み重ね、今日まで生きてきた、そのことがどんなに大変なことなのか、どんなに凄いことなのか、言葉で言い表せるはずもなく、お互いにただそれだけで通じるのです。
 

12月26日          普門寺年越し坐禅会のご案内 今年も年越し坐禅会を修行いたします。心静かに坐って一年を顧みましょう。ご随喜いただけるとありがたいです。同行同修よろしゅう。●12月31日 夜10時〜 歳末法要10時45〜11時半 坐禅経行(休憩)11時45分〜12時半 坐禅終了茶話会●令和5 年1月1 日 朝9時〜9時45分 坐禅 10時 元旦法要駐車場は魚松仕出し屋さんによろしくお願いいたします。参加の方はメッセンジャーなどでお知らせください。よろしくお願いいたします。

四月二十四日 

5時からお昼までの草取り終わり。
砂紋も我流ながら。
午後は坐禅会です何方もお越し下さい。
カエルが良い声で鳴いてます。

四月二十四日 

5時からお昼までの草取り終わり。
砂紋も我流ながら。
午後は坐禅会です何方もお越し下さい。
カエルが良い声で鳴いてます。

十二月二十六日 

普門寺年越し坐禅会のご案内
 
今年も年越し坐禅会を修行いたします。
心静かに坐って一年を顧みましょう。
ご随喜いただけるとありがたいです。
同行同修よろしゅう。

●12月31日 
夜10時〜 歳末法要
10時45〜11時半 坐禅
経行(休憩)
11時45分〜12時半 坐禅
終了
茶話会
●令和5 年1月1 日 
朝9時〜9時45分 坐禅 
10時 元旦法要


駐車場は魚松仕出し屋さんによろしくお願いいたします。
参加の方はメッセンジャーなどでお知らせください。
よろしくお願いいたします。

新発田の普門寺の住職(角一法侖さん)の文章をご紹介します。   8月6日 今日は達磨忌です。普門寺ではお茶のお稽古日でした。「無功徳」のお軸を掛けて生徒さんに少しお話させて頂きました。六世紀初頭、禅は達磨大師によってインドから中国に伝えられました。その当時、梁(りょう)という国を治めていた武帝(ぶてい)は熱心な仏教徒であり、達磨大師の来訪を大いに歓迎し、篤くもてなしました。武帝は達磨大師に質問をします。 「私はこれまでにたくさんの寺を建立し、多くの僧侶を育ててきました。私にはどれだけの功徳がもたらされるでしょうか?」 達磨大師はお答えになられました。「無功徳(むくどく)」功徳ほしさ、褒美ほしさが先に立って行われたところには功徳は無い、とお示し下さっているということです。しかしこれは、「功徳無し」と読むのではなく、「無の功徳」と読む方が分かりいいのかなと思います。青山俊董老師がよくお話しされる余語翠巌老師との出逢いの一句「無の眼耳鼻舌身意あり」です。「無」は「縁起」「無常」という時と処を変えて変わらず、私たち一切を生かしている命のはたらき、真理を表しています。かみ砕いて言うと、存在するすべては因縁和合で繋がりあっていてひとつとして独立して成り立っているものはなく、そしてその本質は常に絶え間なく変化し続けている活動体だから、永久不変に変わらないものはない・・・というのが仏教の真理(この世のなりたち、しくみ)です。つまりは「無の功徳あり」です。時節因縁で「功徳」はあるが、「功徳」という実体はありません。良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が、「自業自得」「因果応報」で否応なしに間違いなく現れます。しかし、それは現象であって永劫不滅に存在することではありません。それを有るものとして追いかけてしまうと、実際に生きている今ここの生(なま)のいのちを見失ってしまいます。「功徳」という「観念」を追い求めるがゆえに、お寺を建てる、僧を育てるという行動(実際の働き、現実)が、「功徳」を得るための手段に堕してしまうのです。そして、梁の武帝はさらに問います。「仏法の一番大切な所(聖諦第一義)は何でしょうか?」達磨大師曰く「廓然無聖(かくねんむしょう)」カラッとして、とらわれなく、秋晴れの空のように澄んでいること 聖も凡もない、二つに分かれるものの見方を離れたところ、と答えられました。難しい理論や観念、未だ来ていない未来や過ぎ去った過去にとらわれるのではなく、今ここで生きているイキイキとした働きこそが聖諦第一義です。ちなみに聞きかじりですが、中国語の「無」の解釈は様々で、「何も無い」ではなく、「行き渡ってないところが無い」という意味の「無」があるそうです。そうすると至るところ出会うところすべて「聖」なのかなぁなどと思います。そして、安心してください!お稽古ではこんなに長々と話してません 😅    「茶禅一味」、お茶と一緒に禅の心を知りたい方はぜひおいでくださいませ。   毎月第一・第三水曜日午後一時から三時まで裏千家茶道

十月六日 

新発田の普門寺の住職(角一法侖さん)の文章をご紹介します。
 

角一法侖

1日 
今日は達磨忌です。
普門寺ではお茶のお稽古日でした。
「無功徳」のお軸を掛けて生徒さんに少しお話させて頂きました。
六世紀初頭、禅は達磨大師によってインドから中国に伝えられました。
その当時、梁(りょう)という国を治めていた武帝(ぶてい)は熱心な仏教徒であり、達磨大師の来訪を大いに歓迎し、篤くもてなしました。
武帝は達磨大師に質問をします。
「私はこれまでにたくさんの寺を建立し、多くの僧侶を育ててきました。私にはどれだけの功徳がもたらされるでしょうか?」
達磨大師はお答えになられました。
「無功徳(むくどく)」
功徳ほしさ、褒美ほしさが先に立って行われたところには功徳は無い、とお示し下さっているということです。
しかしこれは、「功徳無し」と読むのではなく、「無の功徳」と読む方が分かりいいのかなと思います。
青山俊董老師がよくお話しされる余語翠巌老師との出逢いの一句「無の眼耳鼻舌身意あり」です。
「無」は「縁起」「無常」という時と処を変えて変わらず、私たち一切を生かしている命のはたらき、真理を表しています。
かみ砕いて言うと、
存在するすべては因縁和合で繋がりあっていてひとつとして独立して成り立っているものはなく、そしてその本質は常に絶え間なく変化し続けている活動体だから、永久不変に変わらないものはない・・・というのが仏教の真理(この世のなりたち、しくみ)です。
つまりは「無の功徳あり」です。
時節因縁で「功徳」はあるが、「功徳」という実体はありません。
良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が、「自業自得」「因果応報」で否応なしに間違いなく現れます。
しかし、それは現象であって永劫不滅に存在することではありません。それを有るものとして追いかけてしまうと、実際に生きている今ここの生(なま)のいのちを見失ってしまいます。
「功徳」という「観念」を追い求めるがゆえに、お寺を建てる、僧を育てるという行動(実際の働き、現実)が、「功徳」を得るための手段に堕してしまうのです。
そして、梁の武帝はさらに問います。
「仏法の一番大切な所(聖諦第一義)は何でしょうか?」
達磨大師曰く
「廓然無聖(かくねんむしょう)」
カラッとして、とらわれなく、秋晴れの空のように澄んでいること 
聖も凡もない、二つに分かれるものの見方を離れたところ、と答えられました。
難しい理論や観念、未だ来ていない未来や過ぎ去った過去にとらわれるのではなく、今ここで生きているイキイキとした働きこそが聖諦第一義です。
ちなみに聞きかじりですが、中国語の「無」の解釈は様々で、「何も無い」ではなく、「行き渡ってないところが無い」という意味の「無」があるそうです。そうすると至るところ出会うところすべて「聖」なのかなぁなどと思います。
そして、安心してください!お稽古ではこんなに長々と話してません😅
「茶禅一味」、お茶と一緒に禅の心を知りたい方はぜひおいでくださいませ。
毎月第一・第三水曜日
午後一時から三時まで
裏千家茶道

十月六日 

新発田の普門寺の住職(角一法侖さん)の文章をご紹介します。
 

角一法侖

1日 
今日は達磨忌です。
普門寺ではお茶のお稽古日でした。
「無功徳」のお軸を掛けて生徒さんに少しお話させて頂きました。
六世紀初頭、禅は達磨大師によってインドから中国に伝えられました。
その当時、梁(りょう)という国を治めていた武帝(ぶてい)は熱心な仏教徒であり、達磨大師の来訪を大いに歓迎し、篤くもてなしました。
武帝は達磨大師に質問をします。
「私はこれまでにたくさんの寺を建立し、多くの僧侶を育ててきました。私にはどれだけの功徳がもたらされるでしょうか?」
達磨大師はお答えになられました。
「無功徳(むくどく)」
功徳ほしさ、褒美ほしさが先に立って行われたところには功徳は無い、とお示し下さっているということです。
しかしこれは、「功徳無し」と読むのではなく、「無の功徳」と読む方が分かりいいのかなと思います。
青山俊董老師がよくお話しされる余語翠巌老師との出逢いの一句「無の眼耳鼻舌身意あり」です。
「無」は「縁起」「無常」という時と処を変えて変わらず、私たち一切を生かしている命のはたらき、真理を表しています。
かみ砕いて言うと、
存在するすべては因縁和合で繋がりあっていてひとつとして独立して成り立っているものはなく、そしてその本質は常に絶え間なく変化し続けている活動体だから、永久不変に変わらないものはない・・・というのが仏教の真理(この世のなりたち、しくみ)です。
つまりは「無の功徳あり」です。
時節因縁で「功徳」はあるが、「功徳」という実体はありません。
良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が、「自業自得」「因果応報」で否応なしに間違いなく現れます。
しかし、それは現象であって永劫不滅に存在することではありません。それを有るものとして追いかけてしまうと、実際に生きている今ここの生(なま)のいのちを見失ってしまいます。
「功徳」という「観念」を追い求めるがゆえに、お寺を建てる、僧を育てるという行動(実際の働き、現実)が、「功徳」を得るための手段に堕してしまうのです。
そして、梁の武帝はさらに問います。
「仏法の一番大切な所(聖諦第一義)は何でしょうか?」
達磨大師曰く
「廓然無聖(かくねんむしょう)」
カラッとして、とらわれなく、秋晴れの空のように澄んでいること 
聖も凡もない、二つに分かれるものの見方を離れたところ、と答えられました。
難しい理論や観念、未だ来ていない未来や過ぎ去った過去にとらわれるのではなく、今ここで生きているイキイキとした働きこそが聖諦第一義です。
ちなみに聞きかじりですが、中国語の「無」の解釈は様々で、「何も無い」ではなく、「行き渡ってないところが無い」という意味の「無」があるそうです。そうすると至るところ出会うところすべて「聖」なのかなぁなどと思います。
そして、安心してください!お稽古ではこんなに長々と話してません😅
「茶禅一味」、お茶と一緒に禅の心を知りたい方はぜひおいでくださいませ。
毎月第一・第三水曜日
午後一時から三時まで
裏千家茶道

十月六日 

新発田の普門寺の住職(角一法侖さん)の文章をご紹介します。
 

角一法侖

1日 
今日は達磨忌です。
普門寺ではお茶のお稽古日でした。
「無功徳」のお軸を掛けて生徒さんに少しお話させて頂きました。
六世紀初頭、禅は達磨大師によってインドから中国に伝えられました。
その当時、梁(りょう)という国を治めていた武帝(ぶてい)は熱心な仏教徒であり、達磨大師の来訪を大いに歓迎し、篤くもてなしました。
武帝は達磨大師に質問をします。
「私はこれまでにたくさんの寺を建立し、多くの僧侶を育ててきました。私にはどれだけの功徳がもたらされるでしょうか?」
達磨大師はお答えになられました。
「無功徳(むくどく)」
功徳ほしさ、褒美ほしさが先に立って行われたところには功徳は無い、とお示し下さっているということです。
しかしこれは、「功徳無し」と読むのではなく、「無の功徳」と読む方が分かりいいのかなと思います。
青山俊董老師がよくお話しされる余語翠巌老師との出逢いの一句「無の眼耳鼻舌身意あり」です。
「無」は「縁起」「無常」という時と処を変えて変わらず、私たち一切を生かしている命のはたらき、真理を表しています。
かみ砕いて言うと、
存在するすべては因縁和合で繋がりあっていてひとつとして独立して成り立っているものはなく、そしてその本質は常に絶え間なく変化し続けている活動体だから、永久不変に変わらないものはない・・・というのが仏教の真理(この世のなりたち、しくみ)です。
つまりは「無の功徳あり」です。
時節因縁で「功徳」はあるが、「功徳」という実体はありません。
良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が、「自業自得」「因果応報」で否応なしに間違いなく現れます。
しかし、それは現象であって永劫不滅に存在することではありません。それを有るものとして追いかけてしまうと、実際に生きている今ここの生(なま)のいのちを見失ってしまいます。
「功徳」という「観念」を追い求めるがゆえに、お寺を建てる、僧を育てるという行動(実際の働き、現実)が、「功徳」を得るための手段に堕してしまうのです。
そして、梁の武帝はさらに問います。
「仏法の一番大切な所(聖諦第一義)は何でしょうか?」
達磨大師曰く
「廓然無聖(かくねんむしょう)」
カラッとして、とらわれなく、秋晴れの空のように澄んでいること 
聖も凡もない、二つに分かれるものの見方を離れたところ、と答えられました。
難しい理論や観念、未だ来ていない未来や過ぎ去った過去にとらわれるのではなく、今ここで生きているイキイキとした働きこそが聖諦第一義です。
ちなみに聞きかじりですが、中国語の「無」の解釈は様々で、「何も無い」ではなく、「行き渡ってないところが無い」という意味の「無」があるそうです。そうすると至るところ出会うところすべて「聖」なのかなぁなどと思います。
そして、安心してください!お稽古ではこんなに長々と話してません😅
「茶禅一味」、お茶と一緒に禅の心を知りたい方はぜひおいでくださいませ。
毎月第一・第三水曜日
午後一時から三時まで
裏千家茶道

7月24日 久しぶりの快晴、お地蔵さまご縁日無事円成致しました。普門寺のお地蔵さまは、道行く人が足を停め拝み、また日課としてお参り下さる方がいたりと、毎日たくさんの方にお参りいただいております。お地蔵さま本来の御功徳以上に、皆さんの想いによってお地蔵さま自身が守られ、更にお力をを増しているように思います。水子塔婆供養では、ご詠歌『地蔵菩薩御和讃』を奉詠致しました。地蔵菩薩御和讃露霜しげき野の路に ほほえむ姿あたたかく御寺の門のあるところ 笑顔明るくおわします父をば慕い母を恋い 切なき声に尋ねゆく幼き児らをひきよせて つつむ法衣の慈悲の袖この世の今日の苦しみも 我が身のあすの悲しみも代受のちかい深ければ たのむ心にかげはなし

七月二十四日 

久しぶりの快晴、お地蔵さまご縁日無事円成致しました。
普門寺のお地蔵さまは、道行く人が足を停め拝み、また日課としてお参り下さる方がいたりと、毎日たくさんの方にお参りいただいております。
お地蔵さま本来の御功徳以上に、皆さんの想いによってお地蔵さま自身が守られ、更にお力をを増しているように思います。
水子塔婆供養では、ご詠歌『地蔵菩薩御和讃』を奉詠致しました。
地蔵菩薩御和讃
露霜しげき野の路に ほほえむ姿あたたかく
御寺の門のあるところ 笑顔明るくおわします
父をば慕い母を恋い 切なき声に尋ねゆく
幼き児らをひきよせて つつむ法衣の慈悲の袖
この世の今日の苦しみも 我が身のあすの悲しみも
代受のちかい深ければ たのむ心にかげはなし

七月二十四日 

久しぶりの快晴、お地蔵さまご縁日無事円成致しました。
普門寺のお地蔵さまは、道行く人が足を停め拝み、また日課としてお参り下さる方がいたりと、毎日たくさんの方にお参りいただいております。
お地蔵さま本来の御功徳以上に、皆さんの想いによってお地蔵さま自身が守られ、更にお力をを増しているように思います。
水子塔婆供養では、ご詠歌『地蔵菩薩御和讃』を奉詠致しました。
地蔵菩薩御和讃
露霜しげき野の路に ほほえむ姿あたたかく
御寺の門のあるところ 笑顔明るくおわします
父をば慕い母を恋い 切なき声に尋ねゆく
幼き児らをひきよせて つつむ法衣の慈悲の袖
この世の今日の苦しみも 我が身のあすの悲しみも
代受のちかい深ければ たのむ心にかげはなし

七月二十四日 

久しぶりの快晴、お地蔵さまご縁日無事円成致しました。
普門寺のお地蔵さまは、道行く人が足を停め拝み、また日課としてお参り下さる方がいたりと、毎日たくさんの方にお参りいただいております。
お地蔵さま本来の御功徳以上に、皆さんの想いによってお地蔵さま自身が守られ、更にお力をを増しているように思います。
水子塔婆供養では、ご詠歌『地蔵菩薩御和讃』を奉詠致しました。
地蔵菩薩御和讃
露霜しげき野の路に ほほえむ姿あたたかく
御寺の門のあるところ 笑顔明るくおわします
父をば慕い母を恋い 切なき声に尋ねゆく
幼き児らをひきよせて つつむ法衣の慈悲の袖
この世の今日の苦しみも 我が身のあすの悲しみも
代受のちかい深ければ たのむ心にかげはなし

7月15日 地蔵縁日法要・水子塔婆供養のお知らせとき  7月24日 午前10時~ところ 普門寺本堂7月24日はお地蔵さまの縁日です。普門寺には道路に面してお地蔵さまがお祀りさており、地域の方に大変大事にされています。お地蔵さまは正式名称を「地蔵菩薩」といいます。「菩薩」とは悟りを開き彼岸(迷いのない世界)へゆく力量は十分にあるものの、あえて此岸(こちら側、迷い苦しみのある我々の世界)に残り、悩み苦しんでいる私たちと同じ立場で寄り添い、導いて下さる仏様です。まさに、「自未得度先度他(じみとくどせんどた……自分が救われるよりまず先に他の人を救いたいと願う誓願)」です。特にお地蔵さまは、人間(僧侶)に似た姿形をしており、大変親しみ深い仏様です。野や路肩にそっと佇み、私たちを優しく見守って下さいます。ぜひお参りくださいませ。また、水子塔婆供養も併せて厳修いたします。水子とは流産や人工中絶などお母さんの胎内で亡くなってしまった赤ちゃん、または生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんのことです。お地蔵さま、特に「水子地蔵」と呼ばれるお地蔵さまは、亡くなった子供たちを大切にお守り下さっています。お地蔵さまのご縁日に、赤ちゃんの冥福を祈り手を合わせて頂きたいと思います。塔婆供養申し込みの方はメッセンジャーにご連絡下さいませ。よろしくお願いいたします。

七月十五日 

地蔵縁日法要・水子塔婆供養のお知らせ
とき  7月24日 午前10時~
ところ 普門寺本堂
7月24日はお地蔵さまの縁日です。
普門寺には道路に面してお地蔵さまがお祀りさており、地域の方に大変大事にされています。
お地蔵さまは正式名称を「地蔵菩薩」といいます。
「菩薩」とは悟りを開き彼岸(迷いのない世界)へゆく力量は十分にあるものの、あえて此岸(こちら側、迷い苦しみのある我々の世界)に残り、悩み苦しんでいる私たちと同じ立場で寄り添い、導いて下さる仏様です。
まさに、「自未得度先度他(じみとくどせんどた……自分が救われるよりまず先に他の人を救いたいと願う誓願)」です。
特にお地蔵さまは、人間(僧侶)に似た姿形をしており、大変親しみ深い仏様です。
野や路肩にそっと佇み、私たちを優しく見守って下さいます。
ぜひお参りくださいませ。
また、水子塔婆供養も併せて厳修いたします。
水子とは流産や人工中絶などお母さんの胎内で亡くなってしまった赤ちゃん、または生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんのことです。
お地蔵さま、特に「水子地蔵」と呼ばれるお地蔵さまは、亡くなった子供たちを大切にお守り下さっています。
お地蔵さまのご縁日に、赤ちゃんの冥福を祈り手を合わせて頂きたいと思います。
塔婆供養申し込みの方はメッセンジャーにご連絡下さいませ。
よろしくお願いいたします。

七月十五日 

地蔵縁日法要・水子塔婆供養のお知らせ
とき  7月24日 午前10時~
ところ 普門寺本堂
7月24日はお地蔵さまの縁日です。
普門寺には道路に面してお地蔵さまがお祀りさており、地域の方に大変大事にされています。
お地蔵さまは正式名称を「地蔵菩薩」といいます。
「菩薩」とは悟りを開き彼岸(迷いのない世界)へゆく力量は十分にあるものの、あえて此岸(こちら側、迷い苦しみのある我々の世界)に残り、悩み苦しんでいる私たちと同じ立場で寄り添い、導いて下さる仏様です。
まさに、「自未得度先度他(じみとくどせんどた……自分が救われるよりまず先に他の人を救いたいと願う誓願)」です。
特にお地蔵さまは、人間(僧侶)に似た姿形をしており、大変親しみ深い仏様です。
野や路肩にそっと佇み、私たちを優しく見守って下さいます。
ぜひお参りくださいませ。
また、水子塔婆供養も併せて厳修いたします。
水子とは流産や人工中絶などお母さんの胎内で亡くなってしまった赤ちゃん、または生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんのことです。
お地蔵さま、特に「水子地蔵」と呼ばれるお地蔵さまは、亡くなった子供たちを大切にお守り下さっています。
お地蔵さまのご縁日に、赤ちゃんの冥福を祈り手を合わせて頂きたいと思います。
塔婆供養申し込みの方はメッセンジャーにご連絡下さいませ。
よろしくお願いいたします。

七月十五日 

地蔵縁日法要・水子塔婆供養のお知らせ
とき  7月24日 午前10時~
ところ 普門寺本堂
7月24日はお地蔵さまの縁日です。
普門寺には道路に面してお地蔵さまがお祀りさており、地域の方に大変大事にされています。
お地蔵さまは正式名称を「地蔵菩薩」といいます。
「菩薩」とは悟りを開き彼岸(迷いのない世界)へゆく力量は十分にあるものの、あえて此岸(こちら側、迷い苦しみのある我々の世界)に残り、悩み苦しんでいる私たちと同じ立場で寄り添い、導いて下さる仏様です。
まさに、「自未得度先度他(じみとくどせんどた……自分が救われるよりまず先に他の人を救いたいと願う誓願)」です。
特にお地蔵さまは、人間(僧侶)に似た姿形をしており、大変親しみ深い仏様です。
野や路肩にそっと佇み、私たちを優しく見守って下さいます。
ぜひお参りくださいませ。
また、水子塔婆供養も併せて厳修いたします。
水子とは流産や人工中絶などお母さんの胎内で亡くなってしまった赤ちゃん、または生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんのことです。
お地蔵さま、特に「水子地蔵」と呼ばれるお地蔵さまは、亡くなった子供たちを大切にお守り下さっています。
お地蔵さまのご縁日に、赤ちゃんの冥福を祈り手を合わせて頂きたいと思います。
塔婆供養申し込みの方はメッセンジャーにご連絡下さいませ。
よろしくお願いいたします。

4月8日 普門寺 茶道教室🍵今週の水曜日に初回の茶道教室を開催しました。ご挨拶、掛け軸の説明(一席のテーマ)、利休百首の音読から始まり、席入りの仕方、お辞儀の仕方、袱紗のさばき方の割稽古(初歩のお稽古)の後、略盆点でお茶を頂きました🍵私も生徒さんも双方ともに緊張の初回でしたが、楽しくお稽古することができました。生徒さん随時募集中です!よろしくお願いいたします。

四月八日 

普門寺 茶道教室🍵今週の水曜日に初回の茶道教室を開催しました。
 
ご挨拶、掛け軸の説明(一席のテーマ)、利休百首の音読から始まり、席入りの仕方、お辞儀の仕方、袱紗のさばき方の割稽古(初歩のお稽古)の後、略盆点でお茶を頂きました🍵
 
私も生徒さんも双方ともに緊張の初回でしたが、楽しくお稽古することができました。
 
生徒さん随時募集中です!よろしくお願いいたします。

四月八日 

普門寺 茶道教室🍵今週の水曜日に初回の茶道教室を開催しました。
 
ご挨拶、掛け軸の説明(一席のテーマ)、利休百首の音読から始まり、席入りの仕方、お辞儀の仕方、袱紗のさばき方の割稽古(初歩のお稽古)の後、略盆点でお茶を頂きました🍵
 
私も生徒さんも双方ともに緊張の初回でしたが、楽しくお稽古することができました。
 
生徒さん随時募集中です!よろしくお願いいたします。

四月八日 

普門寺 茶道教室🍵今週の水曜日に初回の茶道教室を開催しました。
 
ご挨拶、掛け軸の説明(一席のテーマ)、利休百首の音読から始まり、席入りの仕方、お辞儀の仕方、袱紗のさばき方の割稽古(初歩のお稽古)の後、略盆点でお茶を頂きました🍵
 
私も生徒さんも双方ともに緊張の初回でしたが、楽しくお稽古することができました。
 
生徒さん随時募集中です!よろしくお願いいたします。

3月28日 実家のお寺、旧朝日村もようやくようやくの春です。ショウジョウバカマ、コシノコバイモ、キクザキイチゲ…春の山野草がだんだんと芽吹いてきました。以前、NHK『新日本風土記』で冬の自然風景が特集されたとき、番組の最後に「冬は生き抜く力を育む季節です」というナレーションで終わっていたのがとても印象的でした。止まっているように見えても、じっと力を蓄えて春を待つ。北国の春は冬が厳しい分、嬉しさもひとしおです。

三月二十八日 

実家のお寺、旧朝日村もようやくようやくの春です。
ショウジョウバカマ、コシノコバイモ、キクザキイチゲ…春の山野草がだんだんと芽吹いてきました。
以前、NHK『新日本風土記』で冬の自然風景が特集されたとき、番組の最後に
「冬は生き抜く力を育む季節です」
というナレーションで終わっていたのがとても印象的でした。
止まっているように見えても、じっと力を蓄えて春を待つ。
北国の春は冬が厳しい分、嬉しさもひとしおです。

三月二十八日 

実家のお寺、旧朝日村もようやくようやくの春です。
ショウジョウバカマ、コシノコバイモ、キクザキイチゲ…春の山野草がだんだんと芽吹いてきました。
以前、NHK『新日本風土記』で冬の自然風景が特集されたとき、番組の最後に
「冬は生き抜く力を育む季節です」
というナレーションで終わっていたのがとても印象的でした。
止まっているように見えても、じっと力を蓄えて春を待つ。
北国の春は冬が厳しい分、嬉しさもひとしおです。

三月二十八日 

実家のお寺、旧朝日村もようやくようやくの春です。
ショウジョウバカマ、コシノコバイモ、キクザキイチゲ…春の山野草がだんだんと芽吹いてきました。
以前、NHK『新日本風土記』で冬の自然風景が特集されたとき、番組の最後に
「冬は生き抜く力を育む季節です」
というナレーションで終わっていたのがとても印象的でした。
止まっているように見えても、じっと力を蓄えて春を待つ。
北国の春は冬が厳しい分、嬉しさもひとしおです。

3月24日 普門寺だより「もん」春彼岸号を発行しました。今回は坐禅会参禅者の方にも執筆をお願いして寄稿して頂きました。ご清覧頂ければ幸いです。(スクショなので読みにくくてすみません)

 

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三月二十四日 

普門寺だより「もん」春彼岸号を発行しました。
今回は坐禅会参禅者の方にも執筆をお願いして寄稿して頂きました。
ご清覧頂ければ幸いです。
(スクショなので読みにくくてすみません)

三月二十四日 

普門寺だより「もん」春彼岸号を発行しました。
今回は坐禅会参禅者の方にも執筆をお願いして寄稿して頂きました。
ご清覧頂ければ幸いです。
(スクショなので読みにくくてすみません)

三月二十四日 

普門寺だより「もん」春彼岸号を発行しました。
今回は坐禅会参禅者の方にも執筆をお願いして寄稿して頂きました。
ご清覧頂ければ幸いです。
(スクショなので読みにくくてすみません)

 

11月24日 今日は普済寺の百万遍念仏でした。 念仏は浄土宗・浄土真宗の行事なので、曹洞宗は関係ないのですが、古くから地域で行っていた行事をそのままお寺で継続しています。1月24日を「明け念仏」、11月24日を「止め念仏」として一年の息災を祈念します。 「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と二回お唱えを1セットで百回お唱えします。神仏に祈る素朴な信仰心が、季節ごとの行事として生活の中に根付いているということは素晴らしいことだと思います。昔からあるものはなるべく絶やさないように残していきたいものです。

十一月二十四日 

今日は普済寺の百万遍念仏でした。 
念仏は浄土宗・浄土真宗の行事なので、曹洞宗は関係ないのですが、古くから地域で行っていた行事をそのままお寺で継続しています。
1月24日を「明け念仏」、11月24日を「止め念仏」として一年の息災を祈念します。 
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と二回お唱えを1セットで百回お唱えします。
神仏に祈る素朴な信仰心が、季節ごとの行事として生活の中に根付いているということは素晴らしいことだと思います。
昔からあるものはなるべく絶やさないように残していきたいものです。

十一月二十四日 

今日は普済寺の百万遍念仏でした。 
念仏は浄土宗・浄土真宗の行事なので、曹洞宗は関係ないのですが、古くから地域で行っていた行事をそのままお寺で継続しています。
1月24日を「明け念仏」、11月24日を「止め念仏」として一年の息災を祈念します。 
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と二回お唱えを1セットで百回お唱えします。
神仏に祈る素朴な信仰心が、季節ごとの行事として生活の中に根付いているということは素晴らしいことだと思います。
昔からあるものはなるべく絶やさないように残していきたいものです。

十一月二十四日 

今日は普済寺の百万遍念仏でした。 
念仏は浄土宗・浄土真宗の行事なので、曹洞宗は関係ないのですが、古くから地域で行っていた行事をそのままお寺で継続しています。
1月24日を「明け念仏」、11月24日を「止め念仏」として一年の息災を祈念します。 
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と二回お唱えを1セットで百回お唱えします。
神仏に祈る素朴な信仰心が、季節ごとの行事として生活の中に根付いているということは素晴らしいことだと思います。
昔からあるものはなるべく絶やさないように残していきたいものです。