カテゴリー: 覚隆住職の漢詩日和
漢詩 2月25日 セツブン草の背が伸びました。昨日55年来の法友(法雲寺十世法光尼大和尚)が遷化(せんげ 禅僧が亡くな事教化する場所が此の世からあの世に移ること。)されました。私とは3才上でしたが長いお付き合いでした。29日のお通夜の導師と説教を頼まれました。昨夜は旧暦の1月15日満月でした。また白鳥の北帰行の季節でもあります。追悼の詩です。
漢詩 2月19日 新潟県村上市は3日続きの晴天です。2月のこの時期にかって無いことです。今日から ちょっと遠くに出かけます。昨日亡くなった方がありましたが御葬儀は土曜日(24日)まで待ってもらうことにしました。哀悼の詩です
漢詩 2月17日 2月の村上市大場沢の普済寺です。北帰行の白鳥の声が聞こえます。空は快晴☀️暖かい日差しにセツブン草と福寿草を日向ぼっこに出してやりました。こんな穏やか日に旅立だった人があります。哀悼の詩です。
2月11日 村上市普済寺は冬ウララの柔らかい日差しに包まれています。 埼玉県秩父から節分草が届きました ❗️ (私の77才の誕生日祝いに埼玉の友人が送ってくれました。感謝です。) 小さくて可憐❗️みんな上を向いて咲きます。 葉牡丹や福寿草 スミレとのコラボでウエルカムフラワーの花盛りです。
漢詩 2月10日 新潟の村上市は晴れて放射冷却による霜の朝となりました。ある会で道元禅師高祖大師が中国の宋に渡られて今年が八百年になるので漢詩の特集を致しますので私からもとお話があり作って見ました。 写真は先だって長崎に行きました折に老師から絡子に 点浄(新しいものに敢えて汚れを書く。)をしていただきました。 弄精魂 通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。 「拈華を弄精魂といふ。弄精魂とは祇管打坐脱落身心なり。仏となり祖となるを弄精魂といふ。著衣喫飯を弄精魂といふなり、おほよそ仏祖極則事、かならず弄精魂なり。」 『正法眼蔵』「優曇華」巻
漢詩 2月7日 立春を過ぎても雪が少ない新潟の村上市です。会津屋なる仏具店の会長がお亡くなりになられました。私より2~3才 年下のはずです。葬儀に会葬のご案内が来ましたが思えば長いお付き合いでした。哀悼の詩です。
2月3日 九州の長崎に9日間滞在。本日新潟に帰ります。(写真は一昨年。)雪の新潟なれど懐かしい我が家です。
漢詩2月1日 冬の新潟。何やらおかしい。
漢詩 二月一日
冬の新潟。何やらおかしい。
漢詩 二月一日
冬の新潟。何やらおかしい。
漢詩 二月一日
冬の新潟。何やらおかしい。
漢詩 二月一日
冬の新潟。何やらおかしい。
【二月一日】
花 陽光に咲く四季桜
花咲陽光四季櫻
頭を回らせば清楚 人に向かって明らかなり
回頭清楚向人明
恰も残雪に にたり 塵土を隔て
恰如残雪隔塵土
冬麗 空高く 一縷横たわる。
冬麗空高一縷横
【二月一日】
花 陽光に咲く四季桜
花咲陽光四季櫻
頭を回らせば清楚 人に向かって明らかなり
回頭清楚向人明
恰も残雪に にたり 塵土を隔て
恰如残雪隔塵土
冬麗 空高く 一縷横たわる。
冬麗空高一縷横
【二月一日】
花 陽光に咲く四季桜
花咲陽光四季櫻
頭を回らせば清楚 人に向かって明らかなり
回頭清楚向人明
恰も残雪に にたり 塵土を隔て
恰如残雪隔塵土
冬麗 空高く 一縷横たわる。
冬麗空高一縷横