漢詩 6月19日 能登の羽咋市 永光寺にて勉強中です。(永光寺さまでは現在鐘撞堂の修理中です。)生徒さんに講義と今は実技中。私も昨夜(代作)と今朝漢詩(詩偈 偈頌 法語)を作ってました。 漢詩 六月十九日 能登の羽咋市 永光寺にて勉強中です。(永光寺さまでは現在鐘撞堂の修理中です。)生徒さんに講義と今は実技中。私も昨夜(代作)と今朝漢詩(詩偈 偈頌 法語)を作ってました。 漢詩 六月十九日 能登の羽咋市 永光寺にて勉強中です。(永光寺さまでは現在鐘撞堂の修理中です。)生徒さんに講義と今は実技中。私も昨夜(代作)と今朝漢詩(詩偈 偈頌 法語)を作ってました。 漢詩 六月十九日 能登の羽咋市 永光寺にて勉強中です。(永光寺さまでは現在鐘撞堂の修理中です。)生徒さんに講義と今は実技中。私も昨夜(代作)と今朝漢詩(詩偈 偈頌 法語)を作ってました。 【六月十九日】 一椀 湯を献じて法筵に供え 一椀献湯供法筵 開山と歴代の家傳を慕う 開山歴代慕家傳 喜山派下 紹隆の処 喜山派下紹隆處 舟木の峰は崇し密用の禅。 舟木峰崇密用禅 次は新発田市清流寺の法道師の奠湯法語(懿績イセキは立派な優れた功績。) 【六月十九日】 二輪 常に転じて人に接っして円なり 二輪常轉接人圓 清流 断ぜず懿績まったし 不断清流懿績全 碧樹巌頭の玲玉水 碧樹巌頭玲玉水 湯となして一椀 斎筵に供えん。 為湯一椀供斎筵 【六月十九日】 一椀 湯を献じて法筵に供え 一椀献湯供法筵 開山と歴代の家傳を慕う 開山歴代慕家傳 喜山派下 紹隆の処 喜山派下紹隆處 舟木の峰は崇し密用の禅。 舟木峰崇密用禅 次は新発田市清流寺の法道師の奠湯法語(懿績イセキは立派な優れた功績。)次は新発田市清流寺の法道師の奠湯法語(懿績イセキは立派な優れた功績。) 【六月十九日】 二輪 常に転じて人に接っして円なり 二輪常轉接人圓 清流 断ぜず懿績まったし 不断清流懿績全 碧樹巌頭の玲玉水 碧樹巌頭玲玉水 湯となして一椀 斎筵に供えん。 為湯一椀供斎筵 【六月十九日】 一椀 湯を献じて法筵に供え 一椀献湯供法筵 開山と歴代の家傳を慕う 開山歴代慕家傳 喜山派下 紹隆の処 喜山派下紹隆處 舟木の峰は崇し密用の禅。 舟木峰崇密用禅 次は新発田市清流寺の法道師の奠湯法語(懿績イセキは立派な優れた功績。) 【六月十九日】 二輪 常に転じて人に接っして円なり 二輪常轉接人圓 清流 断ぜず懿績まったし 不断清流懿績全 碧樹巌頭の玲玉水 碧樹巌頭玲玉水 湯となして一椀 斎筵に供えん。 為湯一椀供斎筵
漢詩 6月11日 本日は梅花流御詠歌 特派師範巡回講習会。会場持ち回り。普済寺会場です。以前は100人を下らない参加者でしたが段々と衰退して40人位の参加者です。 本日は梅花流御詠歌 特派師範巡回講習会。会場持ち回り。普済寺会場です。以前は100人を下らない参加者でしたが段々と衰退して40人位の参加者です。 本日は梅花流御詠歌 特派師範巡回講習会。会場持ち回り。普済寺会場です。以前は100人を下らない参加者でしたが段々と衰退して40人位の参加者です。 漢詩 六月十一日 本日は梅花流御詠歌 特派師範巡回講習会。会場持ち回り。普済寺会場です。以前は100人を下らない参加者でしたが段々と衰退して40人位の参加者です。 【六月十一日】 同行 同修 衆縁を融し 同行同修融衆縁 音聲 韻韻 山川を渡る 音聲韻韻渡山川 梅花 詠讚 唱和の処 梅花詠讚唱和處 緑樹 森森たり普済の天 緑樹森森普済天 【六月十一日】 同行 同修 衆縁を融し 同行同修融衆縁 音聲 韻韻 山川を渡る 音聲韻韻渡山川 梅花 詠讚 唱和の処 梅花詠讚唱和處 緑樹 森森たり普済の天 緑樹森森普済天 【六月十一日】 同行 同修 衆縁を融し 同行同修融衆縁 音聲 韻韻 山川を渡る 音聲韻韻渡山川 梅花 詠讚 唱和の処 梅花詠讚唱和處 緑樹 森森たり普済の天 緑樹森森普済天
漢詩 6月9日 日曜日は梅花流ご詠歌の講習会の会場となります。40人位 せっかく沢山 よそのお寺の講員さんも来られますので外も内も掃除 掃除です。普済寺梅花講の方々が窓拭きその他の掃除を昨日 今日と手伝って下さってます。ありがたや~お檀家に86才で亡くなった方があります。歯科医者の倅さん 奥様と相次いで亡くされましたがお元気にしておられました急なご他界でした。 四月二十四日 5時からお昼までの草取り終わり。砂紋も我流ながら。午後は坐禅会です何方もお越し下さい。カエルが良い声で鳴いてます。 四月二十四日 5時からお昼までの草取り終わり。砂紋も我流ながら。午後は坐禅会です何方もお越し下さい。カエルが良い声で鳴いてます。 漢詩 六月九日日曜日は梅花流ご詠歌の講習会の会場となります。40人位 せっかく沢山 よそのお寺の講員さんも来られますので外も内も掃除 掃除です。普済寺梅花講の方々が窓拭きその他の掃除を昨日 今日と手伝って下さってます。ありがたや~お檀家に86才で亡くなった方があります。歯科医者の倅さん 奥様と相次いで亡くされましたがお元気にしておられました急なご他界でした。哀悼の詩です。 漢詩 六月九日日曜日は梅花流ご詠歌の講習会の会場となります。40人位 せっかく沢山 よそのお寺の講員さんも来られますので外も内も掃除 掃除です。普済寺梅花講の方々が窓拭きその他の掃除を昨日 今日と手伝って下さってます。ありがたや~お檀家に86才で亡くなった方があります。歯科医者の倅さん 奥様と相次いで亡くされましたがお元気にしておられました急なご他界でした。哀悼の詩です。 漢詩 六月九日日曜日は梅花流ご詠歌の講習会の会場となります。40人位 せっかく沢山 よそのお寺の講員さんも来られますので外も内も掃除 掃除です。普済寺梅花講の方々が窓拭きその他の掃除を昨日 今日と手伝って下さってます。ありがたや~お檀家に86才で亡くなった方があります。歯科医者の倅さん 奥様と相次いで亡くされましたがお元気にしておられました急なご他界でした。哀悼の詩です。 【六月九日】 八十余齢 宿植の縁 八十餘齢宿植縁 妻をおくり子をおくる古黄泉 葬妻遺子古黄泉 須く知るべし生死去来の事 須知生死去来事 真浄界中 蓋廛を離れん。 眞浄界中離蓋纒 【六月九日】 八十余齢 宿植の縁 八十餘齢宿植縁 妻をおくり子をおくる古黄泉 葬妻遺子古黄泉 須く知るべし生死去来の事 須知生死去来事 真浄界中 蓋廛を離れん。 眞浄界中離蓋纒 【六月九日】 八十余齢 宿植の縁 八十餘齢宿植縁 妻をおくり子をおくる古黄泉 葬妻遺子古黄泉 須く知るべし生死去来の事 須知生死去来事 真浄界中 蓋廛を離れん。 眞浄界中離蓋纒
漢詩 6月5日 朝一番は群馬県を4時に車で出て来たというご婦人一人。お庭ツワーで夜には帰るそうです。お檀家の80才の男性が亡くなられました。父親は戦病死で一度も会うこともなく80才の人生を終えられました。母親のヨネさんは平成21年に92才で亡くなりましたが親子共ご苦労の多い人生でありました。 漢詩 六月五日 朝一番は群馬県を4時に車で出て来たというご婦人一人。お庭ツワーで夜には帰るそうです。お檀家の80才の男性が亡くなられました。父親は戦病死で一度も会うこともなく80才の人生を終えられました。母親のヨネさんは平成21年に92才で亡くなりましたが親子共ご苦労の多い人生でありました。哀悼の詩です 漢詩 六月五日 朝一番は群馬県を4時に車で出て来たというご婦人一人。お庭ツワーで夜には帰るそうです。お檀家の80才の男性が亡くなられました。父親は戦病死で一度も会うこともなく80才の人生を終えられました。母親のヨネさんは平成21年に92才で亡くなりましたが親子共ご苦労の多い人生でありました。哀悼の詩です 漢詩 六月五日 朝一番は群馬県を4時に車で出て来たというご婦人一人。お庭ツワーで夜には帰るそうです。お檀家の80才の男性が亡くなられました。父親は戦病死で一度も会うこともなく80才の人生を終えられました。母親のヨネさんは平成21年に92才で亡くなりましたが親子共ご苦労の多い人生でありました。哀悼の詩です 【六月五日】 英霊 病没す夏雲の辺 英霊病没夏雲邉 爾後 艱難たり八十年 爾後艱難八十年 八十の生涯 母と共に労す 八十生涯労母共 一旬余歳 母 先におくる 一旬餘歳母遺先 【六月五日】 英霊 病没す夏雲の辺 英霊病没夏雲邉 爾後 艱難たり八十年 爾後艱難八十年 八十の生涯 母と共に労す 八十生涯労母共 一旬余歳 母 先におくる 一旬餘歳母遺先 【六月五日】 英霊 病没す夏雲の辺 英霊病没夏雲邉 爾後 艱難たり八十年 爾後艱難八十年 八十の生涯 母と共に労す 八十生涯労母共 一旬余歳 母 先におくる 一旬餘歳母遺先
漢詩 5月30日 村上は今日も梅雨模様ですナンジャモンジャの花が咲いて散っていきます。お檀家ではありませんが葬儀の依頼が有りました。66才 若い方のご逝去が続きます。哀悼の詩です。 漢詩 五月三十日 村上は今日も梅雨模様です ナンジャモンジャの花が咲いて散っていきます。 お檀家ではありませんが葬儀の依頼が有りました。 66才 若い方のご逝去が続きます。 哀悼の詩です。 漢詩 五月三十日 村上は今日も梅雨模様です ナンジャモンジャの花が咲いて散っていきます。 お檀家ではありませんが葬儀の依頼が有りました。 66才 若い方のご逝去が続きます。 哀悼の詩です。 漢詩 五月三十日 村上は今日も梅雨模様です ナンジャモンジャの花が咲いて散っていきます。 お檀家ではありませんが葬儀の依頼が有りました。 66才 若い方のご逝去が続きます。 哀悼の詩です。 【五月三十日】 六十六才 万縁にしたがいく 六十六才随萬縁 遠く越後に来りて心を以て伝う 遠来越後以心傳 白雲深き処 終焉の路 白雲深處終焉路 鳥なき花落ちる梅雨の天。 啼鳥落花梅雨天 【五月三十日】 六十六才 万縁にしたがいく 六十六才随萬縁 遠く越後に来りて心を以て伝う 遠来越後以心傳 白雲深き処 終焉の路 白雲深處終焉路 鳥なき花落ちる梅雨の天。 啼鳥落花梅雨天 【五月三十日】 六十六才 万縁にしたがいく 六十六才随萬縁 遠く越後に来りて心を以て伝う 遠来越後以心傳 白雲深き処 終焉の路 白雲深處終焉路 鳥なき花落ちる梅雨の天。 啼鳥落花梅雨天
漢詩 5月24日 永平寺 元吉祥閣典座 二瓶法道師が遷化されました。(師は拙衲の首座であり昭和56年の住職就任の晋山式の時 1ヶ月も泊まりで準備手伝いをしてくれたものでした。敬って悼す清流寺二十世大安法道大和尚御遷化。 漢詩 五月二十四日 永平寺 元吉祥閣典座 二瓶法道師が遷化されました。(師は拙衲の首座であり昭和56年の住職就任の晋山式の時 1ヶ月も泊まりで準備手伝いをしてくれたものでした。敬って悼す清流寺二十世大安法道大和尚御遷化。 漢詩 五月二十四日 永平寺 元吉祥閣典座 二瓶法道師が遷化されました。(師は拙衲の首座であり昭和56年の住職就任の晋山式の時 1ヶ月も泊まりで準備手伝いをしてくれたものでした。敬って悼す清流寺二十世大安法道大和尚御遷化。 漢詩 五月二十四日 永平寺 元吉祥閣典座 二瓶法道師が遷化されました。(師は拙衲の首座であり昭和56年の住職就任の晋山式の時 1ヶ月も泊まりで準備手伝いをしてくれたものでした。敬って悼す清流寺二十世大安法道大和尚御遷化。 【五月二十四日】 交遊 指を屈っすること四旬年 交遊屈指四旬年 弟となし兄となす法の縁を喜ぶ 為弟為兄喜法縁 吉祥の禅悦食を主管し 主管吉祥禅悦食 平常 共に語る 甎を弄磨せんことを。 平常共語弄磨甎 【五月二十四日】 交遊 指を屈っすること四旬年 交遊屈指四旬年 弟となし兄となす法の縁を喜ぶ 為弟為兄喜法縁 吉祥の禅悦食を主管し 主管吉祥禅悦食 平常 共に語る 甎を弄磨せんことを。 平常共語弄磨甎 【五月二十四日】 交遊 指を屈っすること四旬年 交遊屈指四旬年 弟となし兄となす法の縁を喜ぶ 為弟為兄喜法縁 吉祥の禅悦食を主管し 主管吉祥禅悦食 平常 共に語る 甎を弄磨せんことを。 平常共語弄磨甎
漢詩 5月7日 連休最終日は雨 ☔ ボタンやキングサリが咲いています。普済寺の分家のお寺に山形県鶴岡市に天澤寺(てんたくじ)があります。先日ご住職 庄司良圓師から電話があり総代様が亡くなられたとの事。もちろん分家のお寺であり総代様とも親交があり特に住職と二人三脚良くお寺の発展に協力された方でありました。弔辞をお送りしますが哀悼の詩です。 漢詩 五月七日 連休最終日は雨ボタンやキングサリが咲いています。普済寺の分家のお寺に山形県鶴岡市に天澤寺(てんたくじ)があります。先日ご住職 庄司良圓師から電話があり総代様が亡くなられたとの事。もちろん分家のお寺であり総代様とも親交があり特に住職と二人三脚良くお寺の発展に協力された方でありました。弔辞をお送りしますが哀悼の詩です。 漢詩 五月七日 連休最終日は雨ボタンやキングサリが咲いています。普済寺の分家のお寺に山形県鶴岡市に天澤寺(てんたくじ)があります。先日ご住職 庄司良圓師から電話があり総代様が亡くなられたとの事。もちろん分家のお寺であり総代様とも親交があり特に住職と二人三脚良くお寺の発展に協力された方でありました。弔辞をお送りしますが哀悼の詩です。 漢詩 五月七日 連休最終日は雨ボタンやキングサリが咲いています。普済寺の分家のお寺に山形県鶴岡市に天澤寺(てんたくじ)があります。先日ご住職 庄司良圓師から電話があり総代様が亡くなられたとの事。もちろん分家のお寺であり総代様とも親交があり特に住職と二人三脚良くお寺の発展に協力された方でありました。弔辞をお送りしますが哀悼の詩です。 【五月七日】 天澤の山門 今日のさかえ 天澤山門今日隆 寺檀 不二 一如の功なり 寺檀不二一如功 禅を需め徳を累ねたること 誰に向かって語らん 需禅累徳向誰語 七十七才 真に空を解せらる。 七十七才眞解空 【五月七日】 天澤の山門 今日のさかえ 天澤山門今日隆 寺檀 不二 一如の功なり 寺檀不二一如功 禅を需め徳を累ねたること 誰に向かって語らん 需禅累徳向誰語 七十七才 真に空を解せらる。 七十七才眞解空 【五月七日】 天澤の山門 今日のさかえ 天澤山門今日隆 寺檀 不二 一如の功なり 寺檀不二一如功 禅を需め徳を累ねたること 誰に向かって語らん 需禅累徳向誰語 七十七才 真に空を解せらる。 七十七才眞解空
漢詩 5月2日 同年配の友人の逝去が続きます。呉市に婿入りして長く鉄工所を経営して最後まで現役でした。 漢詩 五月二日 同年配の友人の逝去が続きます。呉市に婿入りして長く鉄工所を経営して最後まで現役でした。 漢詩 五月二日 同年配の友人の逝去が続きます。呉市に婿入りして長く鉄工所を経営して最後まで現役でした。 漢詩 五月二日 同年配の友人の逝去が続きます。呉市に婿入りして長く鉄工所を経営して最後まで現役でした。 【五月二日 哀悼】 縁に随い感に赴き北また東 随縁赴感北還東 呉港の人となって夢中に過ごす 呉港為人過夢中 七十余才 家業に就(つき) 七十餘才家業就 他を利し己を忘れて功を言わず。 利他忘己不言功 【五月二日 哀悼】 縁に随い感に赴き北また東 随縁赴感北還東 呉港の人となって夢中に過ごす 呉港為人過夢中 七十余才 家業に就(つき) 七十餘才家業就 他を利し己を忘れて功を言わず。 利他忘己不言功 【五月二日 哀悼】 縁に随い感に赴き北また東 随縁赴感北還東 呉港の人となって夢中に過ごす 呉港為人過夢中 七十余才 家業に就(つき) 七十餘才家業就 他を利し己を忘れて功を言わず。 利他忘己不言功
漢詩 5月2日 昨年末 広島の古くからの友人逝去の報を受けました。3月の終わりに弔問に伺いました。先日、忌明けの記しと 名物のお好み焼きが送られてきました。才子多病 美人薄命は古来より言い伝えられた事では有りますが君は病(やみ)上手の死に下手(べた)と長生きして才能を益々発揮して活躍されることを願っておりましたが残念です。 漢詩 五月二日 昨年末 広島の古くからの友人逝去の報を受けました。3月の終わりに弔問に伺いました。先日、忌明けの記しと 名物のお好み焼きが送られてきました。才子多病 美人薄命は古来より言い伝えられた事では有りますが君は病(やみ)上手の死に下手(べた)と長生きして才能を益々発揮して活躍されることを願っておりましたが残念です。 漢詩 五月二日 昨年末 広島の古くからの友人逝去の報を受けました。3月の終わりに弔問に伺いました。先日、忌明けの記しと 名物のお好み焼きが送られてきました。才子多病 美人薄命は古来より言い伝えられた事では有りますが君は病(やみ)上手の死に下手(べた)と長生きして才能を益々発揮して活躍されることを願っておりましたが残念です。 漢詩 五月二日 昨年末 広島の古くからの友人逝去の報を受けました。3月の終わりに弔問に伺いました。先日、忌明けの記しと 名物のお好み焼きが送られてきました。才子多病 美人薄命は古来より言い伝えられた事では有りますが君は病(やみ)上手の死に下手(べた)と長生きして才能を益々発揮して活躍されることを願っておりましたが残念です。 【五月二日 哀悼】 才子 多難 多病なるを憐れむ 才子多難多病憐 美人薄命も古来より伝われり 美人薄命古来傳 七旬いくばくぞ別離の客 七旬幾許別離客 博学多才 瀬戸の辺(ほとり。) 博学多才瀬戸邉 【五月二日 哀悼】 才子 多難 多病なるを憐れむ 才子多難多病憐 美人薄命も古来より伝われり 美人薄命古来傳 七旬いくばくぞ別離の客 七旬幾許別離客 博学多才 瀬戸の辺(ほとり。) 博学多才瀬戸邉 【五月二日 哀悼】 才子 多難 多病なるを憐れむ 才子多難多病憐 美人薄命も古来より伝われり 美人薄命古来傳 七旬いくばくぞ別離の客 七旬幾許別離客 博学多才 瀬戸の辺(ほとり。) 博学多才瀬戸邉
漢詩 4月10日 村上市は昨日の嵐から一転好天に恵まれました。観音様の左からは源平ハナモモ 右からは白い八重桜。もう少しで花盛りとなります ‼️ 主庭(おもにわ)のモミジに若葉が出始めました。これから一気に青葉 若葉となりますね ‼️ お檀家にお亡くなりの方があり哀悼の詩です。 漢詩 四月十日 村上市は昨日の嵐から一転好天に恵まれました。観音様の左からは源平ハナモモ 右からは白い八重桜。もう少しで花盛りとなります主庭(おもにわ)のモミジに若葉が出始めました。これから一気に青葉 若葉となりますねお檀家にお亡くなりの方があり哀悼の詩です。 漢詩 四月十日 村上市は昨日の嵐から一転好天に恵まれました。観音様の左からは源平ハナモモ 右からは白い八重桜。もう少しで花盛りとなります主庭(おもにわ)のモミジに若葉が出始めました。これから一気に青葉 若葉となりますねお檀家にお亡くなりの方があり哀悼の詩です。 漢詩 四月十日 村上市は昨日の嵐から一転好天に恵まれました。観音様の左からは源平ハナモモ 右からは白い八重桜。もう少しで花盛りとなります主庭(おもにわ)のモミジに若葉が出始めました。これから一気に青葉 若葉となりますねお檀家にお亡くなりの方があり哀悼の詩です。 【四月十日】 雲散じて百花 爛漫の晨 雲散百花爛漫晨 飄然 決去し根塵を脱す 飄然決去脱根塵 迷途 覚路は一期の夢 迷途覚路一期夢 六十六才 春に背いて行く 六十六才行背春 【四月十日】 雲散じて百花 爛漫の晨 雲散百花爛漫晨 飄然 決去し根塵を脱す 飄然決去脱根塵 迷途 覚路は一期の夢 迷途覚路一期夢 六十六才 春に背いて行く 六十六才行背春 【四月十日】 雲散じて百花 爛漫の晨 雲散百花爛漫晨 飄然 決去し根塵を脱す 飄然決去脱根塵 迷途 覚路は一期の夢 迷途覚路一期夢 六十六才 春に背いて行く 六十六才行背春