漢詩 7月26日 22日の日曜日31人で山形県庄内方面の参拝旅行😍

漢詩 七月二十六日 22日の日曜日31人で山形県庄内方面の参拝旅行😍天澤寺と玉川寺
今日は玉川寺のご紹介😄玉川寺庭園は国指定の名園で出羽三山 羽黒山の麓に位置して海抜100メートル行く道中は庄内平野を一望しながらのバス旅でした。


十里の緑波 出羽の風
十里緑波出羽風

三山の偉容 崇(たかき)を借景とし
三山借景偉容崇

玉川(ぎょくせん)の禅苑 古苔 静かに
玉川禅苑古苔静

一椀の清涼 和気 融たり。
一椀清涼和気融
              



修験の三山を借りて画屏とし
修験三山借画屏

玉川(ぎょくせん)の禅刹 寧馨 有り
玉川禅刹有寧馨

緑波 十里 羽前の景
緑波十里羽前景

涼は西風に起こり境庭を繞(めぐる)
涼起西風繞境庭
              

十里の緑波 出羽の風
十里緑波出羽風

三山の偉容 崇(たかき)を借景とし
三山借景偉容崇

玉川(ぎょくせん)の禅苑 古苔 静かに
玉川禅苑古苔静

一椀の清涼 和気 融たり。
一椀清涼和気融
              



修験の三山を借りて画屏とし
修験三山借画屏

玉川(ぎょくせん)の禅刹 寧馨 有り
玉川禅刹有寧馨

緑波 十里 羽前の景
緑波十里羽前景

涼は西風に起こり境庭を繞(めぐる)
涼起西風繞境庭
              

十里の緑波 出羽の風
十里緑波出羽風

三山の偉容 崇(たかき)を借景とし
三山借景偉容崇

玉川(ぎょくせん)の禅苑 古苔 静かに
玉川禅苑古苔静

一椀の清涼 和気 融たり。
一椀清涼和気融
              



修験の三山を借りて画屏とし
修験三山借画屏

玉川(ぎょくせん)の禅刹 寧馨 有り
玉川禅刹有寧馨

緑波 十里 羽前の景
緑波十里羽前景

涼は西風に起こり境庭を繞(めぐる)
涼起西風繞境庭
              

漢詩 7月16日 清正公忠廣公尊霊供養祭  清正公 忠廣公尊霊 供養祭に題す

漢詩 七月十六日 満65才 清正公忠廣公尊霊供養祭  清正公 忠廣公尊霊 供養祭に題す。


清正公(せいこう)祭 揚眉を拝し
清正公祭拝揚眉

二代の尊霊 共に追随す
二代尊霊共追随

十里の緑波 庄内の野
十里緑波庄内野

金峯山下の當時を憶う。
(金峯山は天澤寺の山号であり当地の名山) 
金峯山下憶當時
              
【七月十六日】 
 清正公忠廣公尊霊供養祭  
清正公 忠廣公尊霊 
供養祭に題す

清正公(せいこう)祭 揚眉を拝し
清正公祭拝揚眉

二代の尊霊 共に追随す
二代尊霊共追随

十里の緑波 庄内の野
十里緑波庄内野

金峯山下の當時を憶う。
(金峯山は天澤寺の山号であり当地の名山) 
金峯山下憶當時
              
【七月十六日】 
 清正公忠廣公尊霊供養祭  
清正公 忠廣公尊霊 
供養祭に題す

清正公(せいこう)祭 揚眉を拝し
清正公祭拝揚眉

二代の尊霊 共に追随す
二代尊霊共追随

十里の緑波 庄内の野
十里緑波庄内野

金峯山下の當時を憶う。
(金峯山は天澤寺の山号であり当地の名山) 
金峯山下憶當時
              

漢詩 7月12日  田舎から新潟へ出て働き通して75才。哀悼の詩を作りました。

漢詩 七月十二日 田舎から新潟へ出て働き通して75才。哀悼の詩を作りました。


郷を出でて五十有余年
出郷五十有余年

県都 新潟の辺(ほとり)に止住す
止住県都新潟辺

不計(はからず)命分(みょうぶん)ここに終わる
不計命分終此処

親家(しんか 親類の事)
あい集まる別離の筵(えん 法要の事)
親家相集別離筵
              
【七月十二日】 
 田舎から新潟へ出て働き通して
七十五才。哀悼の詩を作りました。

郷を出でて五十有余年
出郷五十有余年

県都 新潟の辺(ほとり)に止住す
止住県都新潟辺

不計(はからず)命分(みょうぶん)ここに終わる
不計命分終此処

親家(しんか 親類の事)あい集まる
別離の筵(えん 法要の事)
親家相集別離筵
              
  【七月十二日】 
 田舎から新潟へ出て働き通して
七十五才。哀悼の詩を作りました。

郷を出でて五十有余年
出郷五十有余年

県都 新潟の辺(ほとり)に止住す
止住県都新潟辺

不計(はからず)命分(みょうぶん)ここに終わる
不計命分終此処

親家(しんか 親類の事)あい集まる
別離の筵(えん 法要の事)
親家相集別離筵
              

漢詩 七月四日 永年 病気で家を出ることのなかった娘さんが亡くなられました。(ご両親のご心痛いかばかりかとお悔やみ申し上げます。)

漢詩 七月四日 永年 病気で家を出ることのなかった娘さんが亡くなられました。(ご両親のご心痛いかばかりかとお悔やみ申し上げます。)


あわれむべし 一夜 挽歌の前
 (挽歌ばんか 死者を悼む)
可憐一夜挽歌前

情愛 離れ難し親子の縁
情愛難離親子縁

四十五才 帰路の客
四十五才歸路客

江風 七月 白雲の天 (四十五才の身 
夏の白雲の天へと帰られました。)
江風七月白雲天
              
【七月四日】 
 永年 病気で家を出ることのなかった
娘さんが亡くなられました。
(ご両親のご心痛いかばかりかと
お悔やみ申し上げます。)

あわれむべし 一夜 挽歌の前 (挽歌ばんか 
死者を悼む)
可憐一夜挽歌前

情愛 離れ難し親子の縁
情愛難離親子縁

四十五才 帰路の客
四十五才歸路客

江風 七月 白雲の天 (四十五才の身 
夏の白雲の天へと帰られました。)
江風七月白雲天
              
 【七月四日】 
 永年 病気で家を出ることのなかった
娘さんが亡くなられました。(ご両親の
ご心痛いかばかりかとお悔やみ申し上げます。)

あわれむべし 一夜 挽歌の前 (挽歌ばんか
 死者を悼む)
可憐一夜挽歌前

情愛 離れ難し親子の縁
情愛難離親子縁

四十五才 帰路の客
四十五才歸路客

江風 七月 白雲の天 (四十五才の身 
夏の白雲の天へと帰られました。)
江風七月白雲天
              

漢詩 6月30日 7月1日に新発田の 神応山 香伝寺の法要に説教師として行くにあたり詩を作りました。

漢詩 六月三十日 七月一日に新発田の神応山 香伝寺 の法要に説教師として行くにあたり詩を作りました。 


神応は渓声 山色近く
神應溪聲山色近

雨 花木を霑(うるおし)一時に開く
雨霑花木一時開

香伝の爽気 瑞雲 靆(たなびき)
香傳爽氣瑞雲靆

白壁(はくへき)高甍(こうぼう)
豪壮(ごうそう)なるかな。
白壁高甍豪壮哉
              
【六月三十日】 
 七月一日に新発田の神応山 香伝寺 
の法要に説教師として行くにあたり
詩を作りました。

神応は渓声 山色近く
神應溪聲山色近

雨 花木を霑(うるおし)一時に開く
雨霑花木一時開

香伝の爽気 瑞雲 靆(たなびき)
香傳爽氣瑞雲靆

白壁(はくへき)高甍(こうぼう)
豪壮(ごうそう)なるかな。
白壁高甍豪壮哉
              
 【六月三十日】 
 七月一日に新発田の神応山 香伝寺 
の法要に説教師として行くにあたり
詩を作りました。

神応は渓声 山色近く
神應溪聲山色近

雨 花木を霑(うるおし)一時に開く
雨霑花木一時開

香伝の爽気 瑞雲 靆(たなびき)
香傳爽氣瑞雲靆

白壁(はくへき)高甍(こうぼう)
豪壮(ごうそう)なるかな。
白壁高甍豪壮哉
              

漢詩 六月十四日  満65才 よく小、中学校PTA で活躍された男性が亡くなられた。三面川が近く鮎釣りのベテランでもあった。哀悼の詩を作りました。

漢詩 六月十四日 満65才 よく小、中学校PTA で活躍された男性が亡くなられた。三面川が近く鮎釣りのベテランでもあった。哀悼の詩を作りました。


風月 山川 随処に親しし
風月山川随處親

六十七歳 忽ち真に帰る
六旬七歳忽帰真

雖然(しかりといえども)界を隔って
曽(かって)滅せず
雖然隔界不曾滅

無限の霊光 施与の人。
無限霊光施與人
              
【六月十四日】 
 満六十五才 よく小、中学校PTAで
活躍された男性が亡くなられた。
三面川が近く鮎釣りのベテランでもあった。
哀悼の詩を作りました


風月 山川 随処に親しし
風月山川随處親

六十七歳 忽ち真に帰る
六旬七歳忽帰真

雖然(しかりといえども)界を隔って
曽(かって)滅せず
雖然隔界不曾滅

無限の霊光 施与の人。
無限霊光施與人
              
 【六月十四日】 
 満六十五才 よく小、中学校PTAで
活躍された男性が亡くなられた。
三面川が近く鮎釣りのベテランでもあった。
哀悼の詩を作りました


風月 山川 随処に親しし
風月山川随處親

六十七歳 忽ち真に帰る
六旬七歳忽帰真

雖然(しかりといえども)界を隔って
曽(かって)滅せず
雖然隔界不曾滅

無限の霊光 施与の人。
無限霊光施與人
              

漢詩 六月十日  鮎川氏 讃仰 敬慕の鮎川祭りを開催するに當り一篇を賦して報恩の誠を捧げん者なり。

漢詩 六月十日 鮎川氏讃 敬慕の鮎川祭りを開催するに當り一篇を賦して報恩の誠を捧げん者なり。


大葉山頭 今古の縁
大葉山頭今古縁

水無月裏 斎筵を設け
水無月裏設斎筵

鮎川の武勇 此に鎮魂すれば
鮎川武勇鎮魂此

緑影 清風 気 颯然たり。
緑影清風気颯然
              
【六月 十日】 
 鮎 川 氏 讃 仰
 敬慕の鮎川祭りを開催するに當り
一篇を賦して報恩の誠を捧げん者なり。

大葉山頭 今古の縁
大葉山頭今古縁

水無月裏 斎筵を設け
水無月裏設斎筵

五年 去去たり別離の想い
五年去去別離想

緑影 清風 気 颯然たり。
緑影清風気颯然
              
【六月 十日】 
 鮎 川 氏 讃 仰
 敬慕の鮎川祭りを開催するに當り
一篇を賦して報恩の誠を捧げん者なり。

大葉山頭 今古の縁
大葉山頭今古縁

水無月裏 斎筵を設け
水無月裏設斎筵

五年 去去たり別離の想い
五年去去別離想

緑影 清風 気 颯然たり。
緑影清風気颯然
              

漢詩 6月7日 村で九十七お婆さんが亡くなられました。 

漢詩 六月八日 


緑影 深き時 花また香る
緑影深時花又香

清風 動く処 新涼に座す
清風動處座新涼

看よ看よ脚下 黄金土
看看脚下黄金土

九十七才の 安楽場
九十七才安楽場
              
【 六月 八日】 
 村で九十七お婆さんが亡くなられました。


緑影 深き時 花また香る
緑影深時花又香

清風 動く処 新涼に座す
清風動處座新涼

看よ看よ脚下 黄金土
看看脚下黄金土

九十七才の 安楽場
九十七才安楽場
              
【 六月 八日】 
 村で九十七お婆さんが亡くなられました。


緑影 深き時 花また香る
緑影深時花又香

清風 動く処 新涼に座す
清風動處座新涼

看よ看よ脚下 黄金土
看看脚下黄金土

九十七才の 安楽場
九十七才安楽場
              

漢詩 隣のお寺のお婆様が93才で亡くなられてもうすぐ四十九日法要となります。法語をつくりました。 

漢詩 五月二十三日 法語




 忌辰 七七 中陰に満つ
忌辰七七満中陰

緇素 児孫の恩愛 深し
緇素児孫恩愛深

緑樹 薫風 心気 爽やかにして
緑樹薫風心気爽

往時の追憶 胸襟を正す。
往時追憶正胸襟
              
【五月二十三日】 
法 語


忌辰 七七 中陰に満つ
忌辰七七満中陰

緇素 児孫の恩愛 深し
緇素児孫恩愛深

緑樹 薫風 心気 爽やかにして
緑樹薫風心気爽

往時の追憶 胸襟を正す。
往時追憶正胸襟
              
【五月二十三日】 
法 語


忌辰 七七 中陰に満つ
忌辰七七満中陰

緇素 児孫の恩愛 深し
緇素児孫恩愛深

緑樹 薫風 心気 爽やかにして
緑樹薫風心気爽

往時の追憶 胸襟を正す。
往時追憶正胸襟
              

漢詩 五月三日 村のお婆さんが98才で亡くなられたので詩を作りました。

漢詩 五月三日 村のお婆さんが98才で亡くなられたので詩を作りました。


大場沢の邑(むら)字(あざ) 新開
大場澤邑字新開

夫婦 身を挺して良種を栽(うえる)
夫婦挺身良種栽

九十八年は昨夢の如く
九十八年如昨夢

百花 発映して形を表わし来たる。
百花発映表形来
              
【五月三日】 
村のお婆さんが九十八才で亡くなられたので
詩を作りました。


大場沢の邑(むら)字(あざ) 新開
大場澤邑字新開

夫婦 身を挺して良種を栽(うえる)
夫婦挺身良種栽

九十八年は昨夢の如く
九十八年如昨夢

百花 発映して形を表わし来たる。
百花発映表形来
              
【五月三日】 
村のお婆さんが九十八才才で亡くなられたので
詩を作りました。


大場沢の邑(むら)字(あざ) 新開
大場澤邑字新開

夫婦 身を挺して良種を栽(うえる)
夫婦挺身良種栽

九十八年は昨夢の如く
九十八年如昨夢

百花 発映して形を表わし来たる。
百花発映表形来